今年はオリンピックの年

  野口みずき選手が金メダルをかざした2004年アテネオリンピックからはや4年、今年は北京で夏季オリンピックが開催されます。

 この4年に1度開催されるオリンピックは、アスリート達にとって最高の檜舞台であり、今や世界最大のスポーツイベントとなっています。

 ところで、そもそも「オリンピック」とは何なのでしょうか。その由来を即座に答えられる人は?

 古代ギリシャ人が、オリンピア祭の余興として催した運動・詩・音楽など各種の競技がオリンピックの由来で、古代オリンピックといわれます。

オリンピア祭の「オリンピア」とは地名で、全能の神ゼウスの神殿があり、宗教都市でした。ちなみに、ギリシャ神話によれば、ゼウスは正妻ヘラの他にも様々な女神や精霊、人間とも恋に落ちて、アテネやアポロン、ディオニュソス、ヘラクレスなどの神々や英雄の父となった。なかなか奔放な神のようです。

今から2,500年も前の話で、ソクラテスやプラトンやアリストテレスが生きていた時代で、もしかして彼らも参加していたのでは? それはともかく、単なるスポーツの祭典というのではなく、詩の朗読や音楽の演奏なども催され、ゼウスの神への感謝の祭りという形をとったギリシャの人々の4年に一度の娯楽だったようです。

この古代オリンピックは、男子だけの競技で、しかも、レリーフや壺の絵に残っているように、何故か全裸で短距離や円盤、レスリングの競技をしていたようです。

勝者には、ただ月桂樹の冠が与えられただけで、賞金は特別に渡されてはいなかったといわれています。

 このように、紀元前に開催されていた古代オリンピア祭典競技は、古代ギリシャ帝国を中心としたヘレニズム文化圏の宗教行事でしたが、紀元前146年、ローマがギリシャを支配し、オリンピア信仰から国教をキリスト教に定めたことなどにより、紀元後393年のオリンピア祭典競技を最後に古代オリンピックは終焉を迎えました。

古代オリンピックが途絶えてから、近代オリンピックまでの1500年余りの間には、イタリアではルネサンス運動が興り、古代ギリシャ・ローマ文化が見直され、イギリス帝国時代には古代オリンピックを再現しようとコッツウォルドオリンピックやマッチウェンロックオリンピックが、ノルウェーではスカンジナビアオリンピック、ギリシャのザッパス・オリンピックなどが地域・国内規模で開催されました。

 ご存知の上の図柄は近代オリンピックの象徴で、正式には“オリンピックシンボル”と言います。世界六大州(南極を除いて)(青=オセアニア、黄=アジア、黒=アフリカ、緑=ヨーロッパ、赤=アメリカ)を五つの重なり合う輪(色分けについては俗説です)で表現したものです。

 近代オリンピックは1894年6月23日フランス人ピエール・ド・クーベルタン男爵が復興を提唱し、IOC国際オリンピック委員会が創立され、2年後の1896年4月に、古代オリンピック発祥の地ギリシャの首都アテネにおいて、第一回大会(夏季オリンピック)が開催されました。オリンピックシンボルも同氏によって考案されたものです。同氏の「オリンピック精神は、勝つことではなく、参加することにある」という言葉は有名ですよね。

 冬季オリンピックはそれから28年後の1924年、フランスのシャモニー・モンブランでの開催が第一回でした。

 そうして近代オリンピックは現代まで112年間続いてきたわけですが、途中、戦争や政治の影響を受け中断やボイコットがありました。
  年第一次世界大戦によって、1916年のドイツ、ベルリン大会が、第二次世界大戦によって、1940年の日本の札幌大会(冬季)、東京大会(夏季)、1944年のイタリアのコルティナダンペッツォ大会(冬季)、イギリスのロンドン大会(夏季)が中止になりました。
 大戦後も、1980年のモスクワ・オリンピックは当時のソ連のアフガン侵攻に抗議してアメリカのカーター大統領の提案で西側諸国がボイコットし、次のロサンゼルス大会(アメリカ)は、モスクワ大会の報復として、ソビエトや東欧諸国など16の国と地域がボイコットしたことは記憶に新しいところです。

 日本がオリンピックに初めて参加したのは1912年の第5回スウェーデンのストックホルム大会で、この時の選手は陸上競技の2人(マラソンの金栗四三、陸上短距離の三島弥彦選手)だけでした。
 日本が初めてメダルをとったのは、1920年のアントワープ(ベルギー)大会で、テニス・シングルスの熊谷一弥選手の銀メダルとダブルスの熊谷・柏尾誠一郎選手の銀メダルです。
 日本人の金メダル第一号は1928年のアムステルダム大会で、三段とびの織田幹雄選手です。このほか、水泳200m平泳ぎの鶴田義行選手も金メダル、人見絹枝選手が陸上800メートルで2位に入賞、日本人女性初のメダルを獲得しました。
 その後、日本は1932年のロサンゼルス大会、1936年のベルリン大会で、水泳と陸上を中心に活躍し、当時日本は水泳王国ニッポン、陸上王国ニッポンと呼ばれていたのですよ。

 でもわれわれ現代日本人にとって、身近に感じるようになったのは、やはり1964年の東京オリンピックからでしょう。アジアで始めて開催された大会は衛星中継で世界中に放送されたのです。

 それから40年以上の歳月が流れ、“スポーツを通した平和の祭典”と位置づけられたオリンピックは、ますます肥大化し、商業的になってきているようです。
 国威と思惑が絡み合って招致や放送権料などについてもいろいろなことが言われています。けれども、いざ、競技が始まると、がんばれニッポンとエールを送ります。やっぱり日本人の活躍はうれしいものです。

 しかしながら、華やかでそしてにぎやかな一大イベントの裏に、「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタン男爵が提唱したオリンピックの理想が、置き去りにされていないか、今、問い直さなければならないように思います。
 マラソンの世界記録保持者が大気汚染を理由に、今度のオリンピックを欠場するそうですが、嘗てこのような事があったでしょうか。
すべての人類にとって唯一のものである地球そのものの危機が言われている時代に、真のオリンピック精神が唱和されないならば人類の未来はないと言えるのではないでしょうか。

 ニッポンチャチャチャ。
 地球よ地球・・・・・。

k.n